2009年6月8日月曜日

僕らは生きながら殺されている

僕らは異常に閉塞的なせかいに生きていて、オリジナリティをもつことができないという異常空間で生きている。死にたくなって死ぬこともできないような、恐ろしい、生地獄に自分の意志もなく陥れられたのである。
偽りで充ち満ちているのは戦時中で明らかだ。あの時どれくらい偽りが行われたのだろう。天皇は実は神じゃなくて人間だったという、分かり切った、告白をしはじめるし、マスコミは、ばかばかしい嘘の報道、教師は嘘っぱちの道徳論を卑怯なやり口ですりこむ。生き地獄でなくてなんだろう。生かされていることを感謝しろというのは嘘っぱちでしかない。だれも生きたいなどいっていない。それどころかめちゃくちゃ死にたいのである。ところがふしぎなことに自殺を封じるようなモラルもこの国は創ってしまっている。そこはすでに人の領域を越えた所だと思うのだが、しょせん、くだらない精神論、または生活の必要性、どのみち命を語るにはあまりに低次元からの戯言だが、そんなものに振り回される可哀想な人々もなかにはいるらしい。死を封じるならもっと世の中を変えてからにしろという感じなのだが、何を考えているのか、世の中は悪くなる一方である。というかそもそも絶望の果ての自殺だから、自殺を止める方法などすでに精神的にはないのだが、
自殺を考えない人間にはそんなこともわからないらしい。まあ、人間には精神的生き物と、俗人の2種類いるのだろう。これはまったく新しくない考え方だが。人類は滅ぶべきだろう。そういう考えを持った人にしかぼくは共感を見いだせないだろう。くだらない俗人がいくら僕を振り回しても僕はもはやあわれに反応をかえしてやることもできない。

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